2010/11/02

第一楽章 私の音楽原論  アレグロ

  (1-5)音楽とは秩序を与えられた空気の振動の連続体である
       ―ところ変われば、品変わる―


 人間が「言の葉」を操る動物であることによって、音楽を創造し、発展させてきたことを記しましたが、そもそも音楽とは、どのような人類の知的産物なのでしょうか。次にそれを一緒に考えてみましょう。

 音楽はまさに字の如く、「音の楽しみ・楽しさ」であり、「音によって楽になる・楽にさせる」人間の行為です。それでは「音」とは何か。それは既に述べましたように、何らかの物質の動きによって発生した媒体(空気)の振動を、人間の耳の鼓膜がセンサーとして受け止め、それを聴覚神経が神経電流の流れとし、大脳の聴覚野を刺激し、そこでの記憶と比較して認知されるものを、「音」と呼んでいる訳です。その音にも動詞が沢山ある如く沢山のものがあり、その中から人間にとって好ましい響きのする音を拾い上げ、いろいろな音の組み合わせや並びを作っていったのです。そうした音の組み合わせとして更により纏まった秩序を与えたものが音階と呼ばれるのです。

 まず、簡単な音階(スケール)が、その最初の秩序として、出来上がっていったのでした。メソポタミアの四つの音(春・夏・秋・冬)による音階や、天空のハルモニアと呼ばれる、天体の軌道の比例関係からとられたといわれる「ピタゴラスの音階」、あるいは日本の、「陰旋法、陽旋法」のような音階です。その音階を構成する秩序づけられた音群を用いて、更にメロディ、ハーモニー、リズム等を形に閉じ込めたものが、〝曲〟と呼ばれることになります。

 作曲家という仕事は、まさに音階にされた音群を用いて、それらをメロディ、ハーモニー、リズムといった音楽の三要素を用いて、更に何かの音楽形式にそれらを閉じ込めることによって、曲を作っていく仕事なのです。あたかも俳句が五・七・五であり、短歌が五・七・五・七・七の形式の中に閉じ込められ、言葉の集合が、その生命を輝かす如くです。

 それらの曲は「音楽は時間の芸術」と語られるように、まさに時間の流れの中に広がり響いているのです。その響きは、その振動数と、波形と、その強度に秩序が与えられたものであり、人間にとって「心地の良い響き」とか「勇気をかき立てられる」とか、「悲しみを誘う」とか、いろいろの感情を誘起するのです。

 この点をより良く理解するには、人間そのものを良く知ることです。でも人間を深く、本質的に知ろうとすればする程、ゲーテのように宇宙論から、植物学、そして歯学までを含めた、広範な学問をしなければならなくなっていってしまうのです。とっても大変です。でも若い方々は挑戦して下さい。

 ところで人間の精神は、その人の生まれた環境、(時代、土地、歴史等)によって培かわれます。そうして生まれた人の精神は、逆に発露する時、何らかの形で生まれた環境の影響を受けたものとなるのです。まさに、先程の音階(スケール)そのものが、各地で異なるものとして造られた如くです。即ち音に与えられた秩序が地域環境によって異なるのです。

 逆に言えば、生まれた時代や、環境に影響される部分があるからこそ、多様な言葉が派生しうるのです。もち論、楽器の発達も、その楽器を生みだした民族の生活形態とその歴史に大きく依存するのです。

 しかし、今日の日本人は、生まれた時から、何となく欧米化された日本社会がその生活環境となってしまっているのです。まるで、〝世界の生活見本市〟の如くであり、日本の古来からある伝統文化が、どちらかと言えば隅っこに押しやられていて、「琴を習うならパリへ、ヴァイオリンを習うなら東京へ」などという言い方がされたりするのです。

 日本人が、日本の自然風土とその中の生活から生み出した、音への秩序というものが消えかかっているのです。それはある意味で、日本人の固有精神の放棄、あるいは崩壊と言えるのかも知れません。もう一度その点を真剣に考えねばならないのです。

 次回は、音の物理的性質に関して話しを述べていきましょう。
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2010/10/13

第一楽章 私の音楽原論  アレグロ

(1-2)音楽の誕生と進歩のプロセス
     ― 人間の言語能力と共に ―

 言葉と実際の世界との対応がつくまでのプロセスは、三重苦のヘレンケラーが、サリバン先生の努力で、手に触った水が〝ウォーター〟という言葉で表現させるのだ、ということを知るまでの場面がありますが、まさに人類の最初は、同じような過程を経て、人間のものとなったのでしょう。

 その後「文」レベルの曲から、多くの曲を集めた一連のストーリーのある曲となったり、更に一つの物語や思想を表現するものとして、発達していったのです。まさに、音→単語→文章→論理→思想の如く、音→歌→曲集→物語としての大曲となっていったのでしょう。
 それと併行する形で楽器が開発され、それに合わせた形で、器楽曲が作られ、徐々に大曲になっていき、それがサロンでの演奏から、劇場での演奏にまで発展していったと考えられるのです。
 
何故、こんな大雑把な話しをしているのかと言いますと、厳格な音楽史を繰り広げたいのではないからです。ここでの話しのストーリーを通して理解していただきたい点は、音楽の原点が、人間の生活の歴史の中にあり、言葉の発達の歴史と深い関係があるということなのです。

 言葉の発達が、文明を発達させ、その中で楽器が発達し、人間の認識を深め、次第にその幅を広げ、その流れの中で、言葉も、共に発達していったのです。それを正しく理解することによって、それぞれの時代の認識レベルと音楽との関わりが、良く判るようになるのです。

 ギリシャ時代には、ミューズの神が登場してきますが、この頃にはアリストテレスが登場し、形式論理学を打ち立てます。先程の分析から言えば、単なる文から論理へと展開しているのです。音楽も単なる小さな曲から、一つの纏まりのある曲として発達をしていったものと考えられるのです。

 音楽をそんなに難しく考えなくても良いではないか、と考えられる方もおられることでしょう。しかし、私のように、音楽のトリコにならされた人間にとっては、その音楽に関して十分に知っておきたいのです。またそれ自体が人生の楽しみなのです。
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2010/09/28

第一楽章 私の音楽原論  アレグロ

(1-2)音楽の誕生と進歩のプロセス
     ― 人間の言語能力と共に ―

 人類は最大のベストセラー『聖書』の「創世記」の冒頭で、「太初にロゴス(悟性)在りき」と述べています。ロゴスを言葉、真理、光などと訳すケースがありますが、ロゴス(悟性)とは、「あるものとあるものとを分離識別する能力と」定義されます。それによって、一つ一つのものに命名して、一つの存在として捉えることが出来るようになるのです。

 まさに人間は、その「言の葉」(コトのハ)を操る生き物として誕生し、進化を遂げてきました。二本足で歩行するようになり(バイペダリズム)、手が自由になり、大脳が発達をすることによって、〝考える葦〟となり、その考える道具としての音の組み合わせである言葉を、自らの頭の中で思考する道具として、そして共通のコミュニケーション媒体として、用いるようになったのです。

 言語に於いて文字が出来たのは、人類史の中では比較的最近のことなのです。まず、言語は発声する言葉として登場したのです。そうして、言葉を意識的に活用し始め、コミュニケーションを言葉でとる中から、神の祈りの言葉や、生活の中での掛け声等が、徐々に音楽的になっていったりしたのでしょう。

 音の組み合わせとしてのその言葉を、音→単語→文章→論理→思想として発展させていくのですが、(音楽も類似したパターンで発達していったものと考えられます)おそらく最初の音楽は、人間の声による日々の生活の中での発声であったと考えられます。まさに求愛の叫びや、何らかのコミュニケーション手段としての叫びがそうであり、単純な音を用いていたのでしょう。
 
 ターザンの「アーアーアー!」という叫びを思い出して下さい。その後、労働の時のリズムを合わせる為の叫びが、一つの歌となっていったり、徐々に楽器が、〝お囃子の道具〟として発達していったものと思われます。これについて専門書が沢山あるので、それを読んでいただけたらと思います。ここで重要なことは、人間が言葉を操れることによって音楽が発達した、という点なのです。人間は何故音楽を創造し、発展させられたのでしょうか。
 
 その点にまず思いを寄せていただくことなのです。一言で言えば「人間が人間たる由縁」と深い関わりがあるのです。それでは「人間が人間たる由縁」とはなんでしょうか。その最大の由縁はパスカルが〝考える葦〟と言ったように〝言葉を操る動物〟という事なのです。まさに音楽の発展もそれと不可分の関わりをもつのです。
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2010/09/14

音楽の神への感謝

 私の人生は古典音楽と多く付き合った来た人生でした。もち論、私はプロの音楽家ではありませんし、単なる素人の音楽好きに過ぎません。ただ少々人生おいて、古典音楽と付き合った時間が素人の割りに多かったとは言えると思います。そして、もう一度私の人生があるならば、神がその才能を与えてくれるならば、オペラ歌手になりたいとの想いを持っていることも白状しておきましょう。

 私は、下に示した音楽家の生誕地巡りを行ってきました。各々の作曲家の生まれた時代とその土地柄とを知ることによって、その音楽の来歴を良く理解出来ると思ってのことでした。

 ドイツ    
   ベートーベン      ボン  ウィーン
   シューベルト      ウィーン
   ワーグナー       ライプッチ
   ブラームス       ハンブルグ
   メンデルスゾーン   ハンブルグ

 イタリア
   ヴェルディ       ブーセット

 オーストリア
   モーツァルト      ザルツブルグ

 フィンランド
   シベリウス       ヘルシンキ

 ポーランド
   ショパン         ワルシャワ クルソー郊外

 フランス
   ドビッシー        サンジェルマン・アンレー
   ビゼー          パリ

 ノルウェー
   グリーグ         ベルゲン

 ハンガリー
   リスト           ライディング   ウィーン

 実際に生誕地と家とを訪れてみると、何となくその音楽が漂ってくるようにも感じられます。例えば、グリーグの生誕の地と家のベルゲンのフィヨルドに面した作曲部屋に行って見ると。何となくグリークの『ピアノコンチェルト』や『ペールギュント』の音楽が流れ出てくるように思えたのです。
 母屋の下が小さな演奏会場になっていて、そこで時々演奏会が開催されるとのことでしたが、残念ながら聴くチャンスはありませんでした。

 また、ショパンとジョルジュサンドが愛の逃避行をしたスペインのマジョルカ島のヴァルデモッサ村のカルトゥッサ修道院(Reial Cartoixa)を訪れた時は、その一部が小ホールになっていて、そこでショパンが作曲した『雨だれの曲』が生演奏で演奏されましたが、何ともリアルな感じで感銘したのを覚えています。

 いずれにしても現地に行くことによって、その生誕の一部を知ることが出来、より深く理解をすることが出来ます。

 この音楽の存在がいかに私の人生を豊かにしてくれたかは、本当にいくら感謝してもし足りないと思うのです。音楽について語りたい方々がおられましたら、私にお声をおかけ下さい。

 美味しいお酒を呑みながら語り合いましょう。
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2010/08/31

序曲 アンダンテ・カンタービレ

音楽をもっと愛し、感動し、感動させるには

 これは音楽を通しての、自分の精神分析作業、と言っても良いのでしょう。きっとこの本を読まれる方は、一人の人間としての著者が、どのように音楽という人類の最高の知的財産と関わって、その人生を形成し、豊饒にし、送っているかを興味深く観察できることと思います。

 音楽というジャンルは、実に広大な地平線、水平線を持つと共に、高い頂きと、深い谷を有していることはいうまでもありません。だからこそ日々世界中で各種のコンサートが多数行われ、世界中で巨大な音楽媒体(レコード、CD、DVD・・・)が巨大な枚数を売り、あらゆる場面で音楽が用いられ、人々の心を捉えているのです。
 
 世界中にどの位の音楽学校があるのでしょうか。どの位のコンサート会場があるのでしょうか。ヨーロッパの多くのオペラハウス、コンサートホール、ブラジルのマナウスのオペラハウスや、ブエノスアイレスのコロン劇場や、シドニーのオペラハウスなど大変な数です。又、今迄どの位楽器が作られ、どの位演奏会がなされてきたのでしょうか。アマティ、ガルネリウス、ストラディバリウス、シュタインウェイ、ベヒーシュタイン、ベーゼンドルファー等など。おそらく天文学的に巨大なものとなっていることでしょう。まさに、音楽は人類の主たる活動の一つであり、人類の生み出した優れた知的遺産なのです。私が、この本で描き出してみたいことの一つは、私という一人の人間と音楽の関わりを通じて、人間と音楽の関わり方の素晴しさを描いてみたいのです。

 又、一人の人間の一生と人類の一生との間には、かなりの部分で共通性を有している、と言われます。それは、人類の音楽との関わり方と、一人の人間の音楽との関わり方との間にも、必然的に強いアナロジーが存在することを物語っています。

 何よりも、音楽という芸術ジャンルは、〝人間が考える葦〟であり「言の葉」
を操る動物であることに、深く関わっているのです。この点は本文で詳しく論じるので、ここでは詳しく触れませんが、「人間の知的発達と音楽の発達とは深い関係がある」との認識をまずしっかりと持っていて欲しいのです。
 まさに、私の知的発達と音楽とは深い関係にあるようですし、私のクラシック好きも、私の生活史や、あるいはDNAと深い関係にあるのでしょう。

 いずれにしても、この本の中で扱っていくのは、音や音楽と人間、あるいは人類の関わりなのです。何故こんなことを考えることが意味を持つのでしょうか。それは、素晴しい音楽と音楽の教養は、人生を至福にして、素晴しくしてくれるからです。そして、その至福の音楽を我々に提供してくれる音楽家は、様々に人生経験を有したり、深い人生への解釈を有している人達だからです。

 モーツァルトやリストといった音楽家を見ていると、天才の本分で、何苦労なく、本能的に音楽を造り上げてきたかのようにみえますが、彼らは、音楽そのものの訓練を通して、先人の様々な努力、思い、知識を素晴しく獲得していったと考えられるのです。私は、音楽の中には、人類の偉大なる知的遺産が詰まっているのです。「それを味あわない手はありません」と、考えているのです。
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