2010/08/09

ヨーロッパ史を理解する一つの方法  (2)

 名家、財閥を通して流れを読む
    
    1200年代  :ハプスブルグ家   (神聖ローマ帝国)
    1400年代  :メディチ家     (イタリア フィレンチェ)
    1700年代  :ロスチャイルド家  (ドイツ フランクフルト)
    1800年代  :ロックフェラー家  (アメリカ ペンシルバニア)

 1200年代に神聖ローマ帝国の皇帝を選ぶ7人の選帝侯は、自分達の意のままに動く人物を皇帝に据えるように人選をしてきましたが、1200年代に入り、スイスチューリッヒの小国であったハプスブルグの主を皇帝に選んだのです。しかし新しいハプスブルグ家からの皇帝は、7人の選挙侯の意に沿うふりをしながらも「君主豹変す」の如くに力を発揮して、ハプスブルグ家の権力を強め、オーストリアの田舎街であったウィーンの居城でヨーロッパ全体に睨みを効かせるようになり、第一次世界大戦(1804年)頃まで、ヨーロッパ全体にその権勢を拡大しました。

 1400年代のイタリアフレンチェの名家となったメディチ家は初代トスカーナ大公になったコジモ・ディ・メディチの卓越した才覚で、当時のヨーロッパの交易の一つの中心地であったフィレンチェで“花のコイン”を流通させ、実質的に当時のヨーロッパの基軸通貨の如き立場を獲得し、あたかも今日の中央銀行のような役割を治め、大変なお金を稼ぎ、絶大な権勢を獲得し、歴史にその名を残すようになりました。

 1700年代にドイツ フランクフルトで誕生した、ロスチャイルド家はユダヤの名門ですが、今日でもその存在は強く、この地球上に残っています。初代のマイヤー・アムシャルバウアーは5人の男の子を授かり、その子供達に最高の教育を与え、当時のヨーロッパの五大都市に銀行を成立し、そこで力を発揮させます。イギリスのロンドン、フランスのパリ、当時ヨーロッパ第三の都市イタリアナポリ、そしてハプスブルク家が権勢を振るうオーストリーのウィーン、残りは誕生地であるドイツ フランクフルト、現在はバンクフルトと称される街でした。
 このロスチャイルド家は、ナポレオン、ヒットラー、イギリスの皇室、ショパン、ウェーバー、シュトラウスを始めとする多くの音楽家や、スイスのウィリアムテルの話とも深い関係を持っていたのです。

 また、今日最大の財団のロックフェラー家は、1800年代ペンシルバニアで石油が発掘されたのを契機に、石油事業を行いスタンダード石油を展開し、石油王となり、そこからアメリカのみでなく世界の交易、金融の世界を支配するまでになりました。

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2010/08/06

ヨーロッパ史を理解する一つの方法 (

名家、財閥を通して流れを読む

私は、ヨーロッパの歴史と言うより世界史そのものに興味があり、沢山の歴史書を読むと同時に世界各地の史跡等を訪れました。しかし、各々が部分的でなかなか一つの流れとして理解することが出来にくかったのですが、ひょんな契機から、全体像を体系的に理解する方法を見出しました。

 それは、時間の流れを緯糸とすれば、その時代の空間への広がりを経糸として、あたかも二つの糸の絡み合った西陣織の着物の如くに全体像を理解出来るようになったのです。それはヨーロッパ、アメリカの財閥、名家の代表を取上げその流れとして理解する方法です。
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2009/09/16

『ハプスブルグ家』の研究をして④

<ルドルフ一世が皇帝になった理由>
1200年頃のヨーロッパは、日本の春秋の戦国時代と同じであった。多くの小国が林立し、自由都市があり、年柄年中闘いを繰り返していた。

そうした中で神聖ローマ帝国の皇帝は、七人の選帝侯という人達によって選ばれていた。この選帝侯達には思惑があり、一番強力な王と皇帝を選んでしまうと、それが強大になって支配力を強めてしまう。自分達の威光が効かなくなることを怖れて、自分達が動かし易いあまり力のない者を選んだ。

それが、スイスのバーゼルとチューリッヒの間にある小国ハプスブルグの王である。1273年の初代のハプスブルグ家からの神聖ローマ帝国の皇帝一号であった。

しかし、ルドルフ一世は「君子は豹変す」の如く、良い意味でその隠されていた能力を表に出し、名皇帝としてハプスブルグ家の力を強めると共に、神聖ローマ帝国の統治を行ったのであった。その間に、スイスの小国のみでなく、確実に自国の領土を拡大していき、その一つがオーストリアのウィーンであった。どちらかと言えば“未開の地”であった。
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2009/09/15

『ハプスブルグ家』の研究をして③

<王、大公、皇帝、教皇の違いを>
何よりもこの話を進める上で、支配者の呼び名をしっかりと理解しておくことが大切である。王様というのは、各々の領土を持ち、自らが王と宣言すればなれる。大王は、アレキサンダー大王のように大国の王である。1300年以降のヨーロッパに於いては、ハプスブルグの王 = 大公であった。

そして、ローマ教皇から認知された時、はじめて皇帝としての称号を使えた。教皇とはカソリックの教団の最高位であり、皇帝は世事を司り、教皇は聖事を司ることによって国を支配していた。実際はその関係は微妙であった事の方が多いのであるが。
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2009/09/14

『ハプスブルグ家』の研究をして②

ハプスブルグ家を研究を進めていくうちに、大財閥と思っていたが、必ずしも多くの時間そうではなかったということがわかってきた。

また、神聖ローマ帝国(殆んどドイツ領に近い)と古代ローマ帝国、そして今のイタリアの首都ローマとの関係について、私自身、かなり曖昧で漠然としか認識していなかった。

しかし、2008年9月15日のリーマン・ショック後、すぐに「世界を動かしてきたのは誰か?」と考えざるを得なくなり、

  ハプスブルグ家 + メディチ家 + ロスチャイルド家 + ロックフェラー家

の四つの家系を調べてみることにした。その中でも、ヨーロッパの政治を大きく動かしてきたのはハプスブルグ家、それも実に巧みな結婚戦略によって帝国を築いたのであり、汎ヨーロッパと言っても良い程にその関係は拡がっていた。

他方、1400年代のイタリア、フィレンツェを中心としたメディチ家は、その創家コジモが金融業によって巨大な富を築いたが、そのフラワーコインは、ヨーロッパに流通したものの、汎ヨーロッパからは遠かった。しかし、その中央銀行的役割は、特筆すべきである。

そしてロスチャイルドは、金融を通じてその家勢を伸ばし、結果として時の政治に前面ではなく、陰の存在として大きな影響力を持ち、今日に迄到っている。

最後のロックフェラーは、今日のアメリカを、そして世界を動かしている巨大財閥であり、その名は全世界に届いている。

この四つの家系を追うことによって、ヨーロッパ史の大半を一本の線として捉えることが出来たのであった。さて、その中でも今回は『ハプスブルグ家』の話を少ししたいと思う。

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