2009/09/16

『ハプスブルグ家』の研究をして④

<ルドルフ一世が皇帝になった理由>
1200年頃のヨーロッパは、日本の春秋の戦国時代と同じであった。多くの小国が林立し、自由都市があり、年柄年中闘いを繰り返していた。

そうした中で神聖ローマ帝国の皇帝は、七人の選帝侯という人達によって選ばれていた。この選帝侯達には思惑があり、一番強力な王と皇帝を選んでしまうと、それが強大になって支配力を強めてしまう。自分達の威光が効かなくなることを怖れて、自分達が動かし易いあまり力のない者を選んだ。

それが、スイスのバーゼルとチューリッヒの間にある小国ハプスブルグの王である。1273年の初代のハプスブルグ家からの神聖ローマ帝国の皇帝一号であった。

しかし、ルドルフ一世は「君子は豹変す」の如く、良い意味でその隠されていた能力を表に出し、名皇帝としてハプスブルグ家の力を強めると共に、神聖ローマ帝国の統治を行ったのであった。その間に、スイスの小国のみでなく、確実に自国の領土を拡大していき、その一つがオーストリアのウィーンであった。どちらかと言えば“未開の地”であった。
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