2010/06/22

久しぶりに良い本に出会いました!

私は今、『和道原論』という本を書いてますが、日本人ほど日本を意識する民族は少ないとよく言われますが、その理由も実に良くこの本の中で描き出してくれています。日本という国は、辺境に地理的にあるのみでなく、精神的にも辺境ということを受け入れ、それを前提として様々な営為が歴史的になされてきたと著者の内田樹氏は語ります。

辺境とはその前提としての“華夷”という考え方があります。「華」とは中心という意味であり、「夷」とはかつて源頼朝が征夷大将郡の名を冠に頂いていた如く、征伐されるべき敵(征夷)としての位置にあったからです。

もち論「華」に対して忠誠を尽くし、朝貢を行えば、華の周辺の国家としての認知と保護はしてもらえるのですが、まさに日本は、「華」としての中華思想の中国を華として“東夷”としての国であり、常に意識は「華」に向いていたのでした。

中国は華として、自ら朝廷の名は一文字即ち、秦、漢、隋、唐、宋、明、清の如くに表現し、その周辺は「東夷、西戒、南蛮、北狄」の如く、二文字で表現し、日本は東夷の国なのでした。園田氏はその名からも日本が周辺国であることが判ると言います。
 この辺境国は、自らが中心となったり、センターになって他の国々へそこでの考え、システムをいったものを影響していくということをしません。

常に中心センターからの価値観、制度、文化等の影響を受け、それを自らの地理、気候、国土等に同化させていくのです。しかし、そうした中で辺境国日本は、辺境として中華からの輸入したものを日本的に改善していくレベルは世界でも類を見ないほどのものとして完成してきたのです。

何よりも、それは漢字を平仮名、片仮名に発展させ、表意文字と表音文字とを巧みに使用してコミュニケーションをとるスタイルを造り上げたことです。おそらく世界最高の作業の一つであり、日本の優秀さを生み出す基盤となっているのです。

 詳しくは同本を読んでいただきたいと思います。この本の結論は、辺境国としての日本は今後も変わらないであろう、むしろ辺境国として今後も居直って生き抜いて行くしかないであろうなのです。

私の書架には、まさに沢山の“日本人論”のコーナーがありますが、これだけの骨太の日本人は初めてのように思います。今までの200冊近い日本人論を全て理解した上での日本人論だと思います。

私は、この内田氏の日本辺境論の構造を更には、日本人の自然環境への適応行動の中でより詳しく論考するべく、今『和道原論』を執筆しております。

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