2010/08/24

序曲 アンダンテ・カンタービレ

音楽をもっと愛し、感動し、感動させるには

 さて、ちょっと厳しいことを申し上げることになりますが、音楽を音楽家となるべく努力されている演奏家の方々とお話しをさせていただきますと、音楽演奏そのものについての知識と技術は十分に持っておられるのですが、音楽を受け止める側としての人間や、その感動のメカニズム等に関わる知識に関しては、極めて断片的な知識しかお持ちでない方が、多いのではないでしょうか。人は何故感動するのでしょうか。勿論、中にはそんなこと知らなくても、私は演奏で感動させられると豪語する方もおられることでしょう。確かにそういうこともあります。しかし、もう一段上の感動を誘うことが出来るでしょうか。

 今日の教育は、他の専門家に関しても、勿論、同じようなことを言わなければならないように思います。知識の生まれた背景とか、知識の全体性とか、知識のつながりを余り教えていないのです。他の分野でも知識が断片的なのです。従って音楽に関してのみ〝知識が断片的です〟と申し上げる訳にはいかないのですが、ここでは音楽をテーマとしているので、音楽を学んでいる方々に申し上げている訳です。私は、一人の人間という存在は、全体として存在しているのであり、人類の産みだした全ての知識が、一人の人間に集約されて活かされてこそ、真に価値が生まれるものと思っています。従って知識がつながっていることがとても大切なのです。

 この論では、著者がいかに音楽という世界を一つの「知の体系」として捉え、その上で音楽を味わっているか、の一つの見本を示させていただいているのです。もっと別の観点もあるでしょう。音楽をより楽しむには、もっと別の音楽の深め方もあるかもしれません。ただ私がここで語るのも一つの方法なのです。

 音楽と言うジャンルは、極めて人間の固有の能力と深く関わってきます。歌を歌うことは他の生物で出来ても、作曲と言う行為は、だれ一人この地球上で人間以外には出来ないのです。何故作曲が出来るのか。それはまさに『聖書』の冒頭の「最初にロゴス在りき」のロゴス(悟性)の発達によるのです。考える葦(パスカル)としての人間が〝考える武器・道具〟としての言葉(概念)を操ることができるからなのです。
 そのロゴス(悟性)とは、人間に宿された、「あるものとあるものとを分離識別する能力」であり、それにより分離された一つ一つのものに命名する作業なのです。この能力によって、この世の中から「音」というものが分離され、「ド・レ・ミ・・・・・・」というような音として、秩序が与えられて、命名されていくのです。
 そうして分離、命名された音を、更に今度は、脳の中で自由につなげ組みたてていくことによって、曲ができるのです。

 私が、ここで申し上げたいことは「音楽ともっと深く関わりたいと思う人が、もっと深く味わったり、演奏するには、もっと音楽を愛して下さい。その為にはもっと感動して下さい。その感動を味わうには、人と社会をもっと知り、断片的知識をつなぎ合わせるように体系的、構造的な勉強をして下さい」ということなのです。まさに、チャイコフスキーのヴァィオリンコンクールで優勝された諏訪内さんが、大学の法学部に入ったのはそうした考えの下なのです。

 ここで、私の展開する〝音楽の世界〟についての考えを支持して下さり、今まで以上に音楽の関わりを深め、より良い鑑賞をしたり、より良い演奏をして下さる方が出ていただければ、一人の音楽愛好家として大変幸いです。世の中には、素人でも、このように音楽を愛して、音楽家の演奏に耳を傾けている人もいるのだということを知って、音楽を勉強して欲しいと思います。

 ところで、何故、私の脳や体が〝音や音楽〟という物理的現象に強く反応するのでしょうか。そしてその音や言葉の種類によって何故、私の心理や精神は鋭く反応するのでしょうか。そういう疑問を抱いたことはないでしょうか。さらに、そうした音楽経験の人生を通しての積み重ねが、どのように今日の私を形成しているのでしょうか。そうしたことを考えたことがきっと一人一人あるのではないでしょうか。

 これは音楽を通しての、自分の精神分析作業、と言っても良いのでしょう。きっとこの本を読まれる方は、一人の人間としての著者が、どのように音楽という人類の最高の知的財産と関わって、その人生を形成し、豊饒にし、送っているかを興味深く観察できることと思います。
 
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