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2010/09/08

全てが当たり前のように過ぎていく恐ろしさ


 最近とみに、毎日が悪戯に過ぎていく感じがしてなりません。その向かっていく先が悪い方向でなければ、それはそれでも良いのですが、どうも“ゆで蛙”の如く、徐々に日本は病気が進行していく方向に向かっているのではないかと思うのです。

 また、日本の中で生きている私の人生も、どうも悪戯に年をとっていくプロセスの中に入ってしまっているようにも思います。まだ私の人生の中でやるべき事は沢山残っているとの思いが強くあるのに、何となく日々が過ぎ去っていくのです。

 きっと多くの人は、私の今の実感と同じように感じているものと思います。ひょっとするとそのまま人生の終わりを迎えることになるのかも知れません。私も今のままではもっとそうなることでしょう。

 それではそのマンネリズムを打破するにはどうしたら良いのでしょうか。かつて名将野村克也監督は「覚悟に勝る決断なし」と述べましたが、私は現況の生活を一変させて、新たなるチャレンジに向かう覚悟が無いのかも知れません。何か強い契機が働くことが必要なのでしょう。

 もう少し、私の学び、考えてきた事を、日本の国政の為に反映させる事が必要との思いも、まだ途上にある未来予測の手法も、ビックストリーではあるが、日本文化の本質を総括した『和道原論』そして、新しい視点から科学技術の体系的教育を纏めた飛岡流科学技術教育論も趣味の交響曲の作曲も皆途上なのです。

 しかし、確実に私の人生の時間は残りがカウント出来る様になって来ているし、体力の衰えも実感せざるを得ないのです。従って、確実に焦りが生まれます。ところが、その焦りが行動と繋がらず、相変わらず日々毎日同じパターンの生活を続けているのです。そしてもう一度その現実を見る時に焦りを感じるのです。

 余りにも今までの人生を規則正しく習慣的に行ってきた事によって、そこから逸脱することが難しくなってしまっているのでしょうか。毎朝早く起きて、本郷の喫茶店「麦」に入り、時間の許す限りそこで原稿を書き、考え、時には本や書類を読み、午後は、人と会ったり、会議をしたり、時としては調査に行くという生活をし、その間に講演を行ったり、本の原稿を書いたりするという日々なのです。

 そろそろ、猥雑な事を捨てて、自分の本当に人生でやるべき事、そしてやり残してきた事をやる時が来ているのかも知れません。少しの間、どのように新しい生活へ入れるのかの工夫をしなければいけないようです。
 
きっと皆さんの中にも新しい生活へのチャレンジを考えている方が多くいることでしょう。
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