2010/10/19

第一楽章  私の音楽原論  アレグロ

  (1-3) ジュウシマツ・クジラ・人間は歌う生きもの
        ― 歌がうまいほど雌にもてる! ―


 ところで音楽とは人間のみの専有物なのでしょうか。少し回り道ですが、その点について少し触れてみましょう。

 人間の音楽の前に、生物界にも音楽と言えるかどうかは別として、曲と呼べるかなと言える例があるのです。そうした点についての研究が結構なされているのです。普通の猫、犬や狼の求愛の鳴き声にも、原始的な音楽性は秘めているものと思いますが、より明確に「歌」といえるものを歌う生物がいることを、研究は明らかにしているのです。その歌を唄うことの出来る動物は、ジュウシマツとクジラと人間の三種類であるといわれます。もっと居るのかも知れませんが、今のところ明らかにされているのはこの三種類なのです。

 ジュウシマツも唄うのは雄で、歌がうまい程雌にもてるのだそうです。この研究をされているのは、岡ノ谷一夫教授(千葉大)です。簡単にその話しを紹介させていただきますと、次のようになります。「ピーッ!チュッ!といった八種類の音の鳴き声が基本で、それらが一連の規則でつなげられて、一つの歌となり、雄ごとに種類の違った歌を何曲か持つ」のです。

 何故、こんなにレパートリーが豊かになったのかを、岡ノ谷教授は次のように語っています。「テープに録音した雄の鳴き声を原音として、それらを組み合わせて、いろいろな歌を作り、雌に聴かせるといった体験をすると、より複雑な歌を雌は好むのです」と。

 そうであればジュウシマツの雄が、必死でいろんな曲を作って、雌の気をひく努力をするのは必至です。何ともロマンチックな気がしませんか。それこそワーグナーの『ローエングリーンの名歌手』の一場面の〝歌合戦〟を思い出してしまいます。

 それでは何故、雌は「歌のうまい雄」を選ぶのでしょうか。それに関しては更に次のように言えるのだそうです。「ジュウシマツの歌は、蜂が女王蜂のロングフライトについていけた雄蜂が、女王蜂とドッキングする機会を得るのとは違います。蜂の場合は飛行能力が一番大事ですが、別に歌がうまくても、生存そのものにとっては直接的には役に立ちません。むしろ歌を唄っていると、他の敵に見つかってしまうので、不都合の筈です。ところが、その不都合さの中で、生き長らえていることは、雄に生命力が旺盛であることを意味するので、種の存続の為には、やはり歌の旨い雄を選ぶ事の方が合理的なのです」と。

 まさに人間の世界に於いても、セレナーデを、女性の住む館の下で、夜になると通い歌うという光景があります。そして、その歌に巧拙があり、それによって女性のハートを射止めることが出来るか、出来ないかになります。まさにジュウシマツと何となく似ていると思いませんか。

 また、岡ノ谷教授の研究室の山田裕子さんは〝クジラの歌〟を研究されています。クジラもジュウシマツと同様に歌を唄うのだそうです。しかし、歌の功拙が雌にどう関係するのかは、ザトウクジラを長期追跡できないので、出来ていないとのことです。

 でも、群れによって歌が違うことと、徐々にその歌が変化していくことは認識できているようです。そして群れから群れへ、その変化が伝わっていくそうです。それも遭遇した群れ同士が歌合戦をし、そこで変化が伝わっていくそうです。近松門左衛門の『国性爺合戦』の蛙の歌合戦もそうなのでしょうか。

 きっと、もっと研究が進むと、ここで挙げたジュウシマツ、ザトウクジラ、人間の三種類のみでなく、もっといろいろな動物が歌を求愛の道具や、群れのコミュニケーションとして使っているのかも知れませんね。何かとても楽しくなる話題と思いませんか。

 しかし、音楽をより意識的に高度のレベルに発展させ、種としての偉大なる知的遺産にしたのは、一人神の子としての人類のみなのです。その人類の発展させた音楽について、もう少し基本的な話しを次から展開していきましょう。
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