2009/07/24

日蝕

今回日本中が盛り上がった日蝕でしたが、残念ながら、私は見ることが出来ませんでした。
見逃してしまったことによって、私の人生の中で、日本に居て見られるチャンスは無くなってしまったと思うと、何となく寂しい感がします。次は26年後の頃のようですから、私はおそらくいないだろうと思います。

実のところ、私は宇宙工学の勉強をしていながら、日蝕・月蝕については、あまり関心がありませんでした。
ところが、あるラジオを聞いていたら、ある人が次のような話をしていました。
「私のお婆ちゃんが、日蝕様というんですよ。
なぜ日蝕に『様』をつけるのだろうかと不思議に思っていましたが、今回の皆既日食を見ることが出来、徐々に欠けていく日蝕の姿、ローリング、そして西の海が輝く神秘的な姿を見て、感動させられ、お婆ちゃんが日蝕様と呼ぶことがよく理解出来ました」と。

自然の時の神秘性に強く反応する日本人の一面と言えるかもしれませんが、多くの民族の方々も、こうした自然の持つ神秘性や感動性には、強く惹かれるもののようです。

話は戻りますが、日蝕様と呼んだ祖先達は、自然に対しある種の畏敬の念を持っていましたが、コンクリートジャングル、アスファルト砂漠の中で、そして多くのエアコンなど文明の利器を使って生活することによって、今日に生きる我々は、その自然への畏敬の念を忘れると共に、自然の脅威に対しての怖れを、即ち畏怖の念を忘れてしまっています。
こうしたことが災害への準備に怠りを生ぜしめると共に、感動、感謝、感激の念を薄れさせ、人生の醍醐味を味わう機会を失くし、文化創造の力を弱めることにつながっているように思えるのです。

それでは、都市化された状況の中で、 “自然との触れ合い”は、どうすれば可能なのでありましょうか。
その一つは、太陽の昇る頃にマンションの屋上に出てみること。
また、家の中の照明を全て消して、外を眺めてみることです。空には、薄くとも星の幾つかは見えるし、暗闇を飛ぶ多くの昆虫や生物を知ることが出来る筈です。

今、関西で“チリメンモンスター”略して“チリメン”とういことが、小さな子供達の間で流行しているようです。
これは、シラスの中に混じって捕れる他の多くの魚類を発見して、驚きを体験することのようで、実際、子供達は活き活きと熱中してそれを楽しみながらやっています。そのお陰で、シラスそのものは波及して、10日後位にしか入手出来ないとのことです。

「成せば成る、成さねば成らぬ何事も」である。日蝕をはじめ、自然の畏敬に触れる機会を多いに持とう!!
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エコ | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
ありがとうございます
ご覧になられましたか!
うらやましいです。
その感動を味わいたかった。
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