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2009/08/21

改めて思う 言葉と文字の大切さ① ―― 考えられることへの日々の感謝

私は時々「職業は何ですか」と聞かれる。そんな時「男芸者です」と答えることがある。本物の芸者が三味線を抱えて、置屋からお座敷へ呼ばれる如く、私は口三味線を捨てて講演会というお座敷へ招かれ、そこで芸を披露するのだから、芸者とは何ら変わりは無いとも考えられるのである。それ故に、「私は男芸者です」ということになる。

しかし、芸者さんは常に定番の十八番を披露するのに対し、私は常に“新作”でお座敷に向かわねばならない。丁度1800年頃のヨーロッパの第二黄金期の音楽家達のように、聴く人は殆んど毎回同じなので、常に新作を求められるのと同じである。

既に私も30~40年間に渡って常に“新作”を生み出し続けて座敷通いをし、いつの間にか三千回近くに達している。多くの方が、「話す種がよく尽きませんね」と驚きを持って語る。それでは、その新作を出し続ける為に、私にとって何が大切かと言えば、それは言葉と文字なのである。その言葉と文字があるからこそ、私は新作を生み続け、お客様を飽きさせないで今日迄生きてきたのである。それこそ、言葉と文字に感謝である。心から有難う!


     

飛岡 健 主宰  「WSF東京スペシャルセミナー」開催のご案内
■日時   2009年9月7日(月)18:00 ~21:00
■場所   有楽町 電気ビル 北館20階 日本外国特派員協会
     
■テーマⅠ  スペシャルゲスト 四竃 正夫氏 
                     義道列伝 四~ 伍子胥、上に立つ者のプライド。そして、愛は死を越えて
■テーマⅡ  飛岡 健
            “新しいビジネス”の考え方 ピンチをチャンスへと切り替える為の発想と実践

■テーマⅢ  当研究所研究員による タウンウォッチング新・珍・奇
     
■参加申込  infoアットマクークgenjinken.co.jp(アットマークを@に変えて送信してください)折り返し参加申込書をお送り致します。



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2009/08/18

長渕 剛とSMAPの共演を見て

2009年8月10日月曜日の夜、フジテレビで「SMAP×SMAP」という番組が放映されていた。SMAPが料理人となって芸能人を招待しご馳走するという「ビストロSMAP」というコーナーである。その日のゲストは長渕 剛。彼の“魚料理と甘いもの”という要望で、SMAPのメンバーが二人ずつ二組に分かれて料理を競うという形であった。

稲垣吾郎&香取慎吾ペアのメニュー
・アワビの酒蒸し アワビの肝+イカ墨ソース
・あぶり大トロ寿司 マグロの脳天ばくだん
・黒ゴマ蒸しケーキ(炭)
・ごぼうソフトクリーム


木村拓哉&草剛ペアのメニュー
・新鮮魚介のカルトッチョ(紙包み焼き)
・松茸のリゾット(キンキの肝ソテー)
・野菜のシロップ煮 バニラアイス


私がこの番組を見て驚いた点は、長渕の持つカリスマ性と言おうか、そのエネルギーであった。今をときめくSMAPの面々に対して、まるで生徒を諭す教師のように、それでいて彼らを尊敬しつつも教える姿は、私にとって極めて刺激的であった。

この番組の番外編として「長渕の書」が実演され、SMAPも長渕の指導の下に格闘したが、その指導が良いことと、元々彼らが資質を様々に宿しているのであろう。一人ひとりが何とも言えない味のある文字を描き出していた。

その番組の中で、チャゲ&飛鳥とSMAPとの歌の共演もあり、SMAPの一人ひとりがチャゲ&飛鳥の間で独りで唄うシーンでは、新しい発見があった。
私はSMAP全体としての歌は聴いていたが、一人ひとりの歌唱力に関しては懐疑的に思っていた。

しかし、その共演の中でSMAPメンバー一人ひとりが独自の歌唱力を有していることを知らされた。それと同時に、何故このメンバーが日本人の間で人気があるのかがやっと判ったように思ったのである。

最近年をとったせいか、有名タレントの一人ひとりに、やはり何かを持っているということを知らされることが多い。今迄の私は、ポピュラー音楽の個々をあまり評価していなかったが、この歳になってやっと判るようになったみたいである。人に言わせれば、物分りがよくなったのと、年をとったせいだよとからかう者もいるが、その通りのようだ。
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2009/08/17

ボルト選手(ジャマイカ)の記録に驚き! ―― 以前限界は9.6秒と言われていた

2009年8月、ドイツのベルリンで開催されている世界陸上の男子100メートル決勝で、ジャマイカのウサイン・ボルト選手が自己のワールドレコードを破る9秒58という記録を出した。

私は驚いた。なぜなら、私が人間の肉体の限界ということを以前調べた時には、人間の体を形成する骨格-筋肉系の出し得る限界記録は、9.6秒と計算されていたからだ。

もちろん、その計算の正しさと誤差の範囲とが、学会等で正式に認知されていた訳ではないので、9.6秒を超えた記録が出たとしても不思議ではない。だが、私の頭の中では、9.6秒が限界であるというデータがインプットされていたので、今回のボルト選手の記録には驚かされたのであった。

さて、こうした事実として9.6秒の限界が破られたとなると、今後どこまで記録が伸びるのかに関心は移り、興味は増していくことになる。9.6秒限界説を打ち出したアメリカのスポーツ医学の大家は、先程の骨格‐筋肉系への荷重の限界から割り出していたようであるが、もしかすると計算式が間違っていたとも考えられなくもない。いや、骨格と筋肉とが、より強くなっているのではないか。どうも人間の限界は下手すると、二本足で走る動物の中で一番速いレベル迄行ってしまうのではないかとも思えるのである。
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2009/08/12

何の為に学ぶのか?③ ―― 知識を持っていると人生は楽しく豊かになる

かつてサンリオの顧問をしている時、私はサンリオ文化研究所を造り、初代所長となった。そこで「貴族研究」を行った。これからの時代、大衆貴族とも呼べる消費者が登場してくるので、「時間とお金を持った人達のライフスタイルがどのようになっていくのか?」というテーマに答える為であった。

結論的に言えば、「人間はお金と時間を持つと教養を身につける」ということであった。何故なら、貴族のライフスタイルは、親しい人間が集まって、おいしい食事をとりつつ、楽しい語らいをすることが主たるものであったからである。

楽しい語らいの為には、政治、経済、社会、文化、スポーツetc. と何でも語り合えるレベルの知識を持つこと。そして何らかのテーマを提供出来ることであった。その為に学び、体験し、教養を身に纏うことが大切であったのだ。

これから日本人の多くも、そうした時間とお金を持つことになるし、何よりも教養が大切となってくるのである。
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2009/08/11

何の為に学ぶのか?② ―― 生活の中で学ぶ

ところで、“学ぶ”という言葉を用いると、机に向かい椅子に座って本やパソコンを広げて学ぶというイメージがすぐに出来てしまう。しかし、生きて生活している日々の場そのものが、“学び舎”なのである。目に入るもの、耳から聴こえてくるもの、全てについて「何故」「どうして」etc.といった好奇心を抱き、それについて自身のことで考えてみることである。

それが一番大事であり、どうしても判らない時には、その分野の本を探したり、今やインターネットで検索して知れば良いのである。例えば、「何故人は前を向いて歩くのだろうか。カニのように横走りしないのだろうか」とか、「何故女性は平均的に男性より小さく軽いのだろうか」とか、「何故電信柱はあの高さなのか」とか、いくらでも好奇心を発露することが出来るのである。

私は英語を勉強する時、歩いていても、座っていても、目に入る全てのものの英語を覚えていった。判らないとすぐに辞書を引いたのである。今なら電子辞書があり、正しい発音まで教えてくれる。我々の頃は、発音を学ぶ事は難しかった。英語の先生が外人と話した事の無い先生が多かったからである。
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